東京朝霧山岳会活動日記Ⅱ

会山行活動の簡単な報告です!

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ上記画像:インド ガンゴトリ山群 バスキパルバット(6792m) ㅤㅤㅤㅤㅤ ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ ※各画像をクリックすると拡大されます

大峯奥駆道 吉野〜山上ヶ岳〜八経ヶ岳

11/23〜25   
大峰山脈世界遺産の奥駆道は長さが北の吉野山から南の熊野神社までの約90km。最高峰の八経ヶ岳(1,915m)を始めとして1,200m以上の山が40座以上もある。その間、吉野の金峯山寺から熊野神社まで8つの世界遺産の社寺、山がある修験道、登山道である。

11/22(木) 平井、朝霧山荘〜東京〜京都〜橿原神社〜吉野駅下車(23:49)駅前は土産物屋のみで人家無し。駅内仮眠断られタクシー乗り待合所でごろ寝する。

11/23(金) 04:26出発(300m)。見上げると遥か上迄灯が点灯してる。坂を幾分か上がると尾根上に道があり両側には社寺、旅館、お土産屋が延々と続く門前町なのである。中千本の世界遺産金峯山寺(蔵王堂)は見事である、上千本〜奥千本と登り金峯神社まで五つの木造社寺があるが、二時間のアスファルト、コンクリートの急坂登りも長かったが日の出を迎えるカメラマンも多かった。廻りの木も桜、桜、桜である。ようやく登山道になる。朝は晴れだったが百丁茶屋辺りからあやしくなり1,200m位からガスが掛りだす。昨夜の雨で木々も霧氷になっている。四寸岩山〜大天井ヶ岳(1,439m)に登り、そこから下ると五番関(13:50)が有り右に下ると洞川までは近い。そして行く目の前には有名な「女人結界門(山上ヶ岳への4方向)」がある。ここから山上ヶ岳の先まで女性は通過できない。ここから1時間半歩いた所の「今宿跡」で霧雨と眠気の理由を付けて幕営する(15:20)。17時半には横になった。

11/24(土) 04:43に出発する。快晴、気温-5℃。夜中の降雪で一面うっすらと白い。事前情報でアイゼンは持ってきてないので途中で引き返すか、山上ヶ岳から降りるかと考える。長い鎖場を登り1時間歩くと洞辻茶屋、陀羅尼助茶屋とあるが、屋根付きの通路に小店が数件と休憩所がある立派な長い建物である。07:35に山上ヶ岳(1,719m)に着く。一面に白い。世界遺産大峯山寺、下に三棟の数百人収容の宿坊と建っている。この周辺の山を大峯山と称してるそうだ。遠くに八経ヶ岳が有り東には大台ケ原の台高山脈が連なり、西は熊野古道小辺路か。40分歩くと小笹の宿避難小屋に着くが、沢水が流れ、石積みのテント場も有り桃源郷の様だ。水を3.5ℓ補給する。明王ヶ岳〜大普賢岳(1,780m)を過ぎると鎖場、梯子の登り下りとなる。行者還岳(14:24分)を過ぎ行者雫水で若者が1時間掛って水を1,5ℓ汲んでいた。途中で捨てなくて良かった。避難小屋を過ぎなだらかな道を延々と歩き行者還トンネル上の奥駆道出合合流には17:00に着く。熊笹上に幕営する。長かった。

11/25(日) 3時前に起き、04:00に出発する。風が強い。1時間で聖宝ノ宿跡で後続の4人パーティに抜かれるが女性二人は運動靴である。ん?、良い根性してると思った。15分も歩くと斜めの木製階段と雪の斜面で登れなくなり言い合いして下山して行った。2時間で弥山(1.895m)に着き2度目の八経ヶ岳には06:43に着いた。急にガスが出てしまったので明星ヶ岳方面に向かい、弥山辻から天川村へ下降に入った。途中、倒木が多く難儀したが日裏山〜栃尾辻〜天川川合バス停まで9km,5時間要したが12:09に着いた。ほぼ全工程の1/3歩いたか?奥駆道は平安時代からの歴史があるが磁石の無い時代にどうやって熊野から吉野まで行ったのか?食料は。水は?どうやって戻ったのか?(山口)

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( 里山歩きからヒマラヤ登山・・・それが我々のフィールドです ) ㅤㅤㅤ 東京朝霧山岳会