東京朝霧山岳会活動日記Ⅱ

会山行活動の簡単な報告です!

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ上記画像:インド ガンゴトリ山群 バスキパルバット(6792m) ㅤㅤㅤㅤㅤ ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ ※各画像をクリックすると拡大されます

故、遠藤敦子さんのこと

つい先日11月15日、遠藤(旧姓)佐和子さんから朝霧ブログの「芝倉沢 慰霊登山」を見てお礼のメールがありました。そうあの「アネさん」の娘さんからです。私と遠藤さんとの記録を見ると1979.12/30~1980-.1/5 北ア、南岳西尾根合宿(15名参加)。2/3御坂、四十八滝沢氷壁講習会(13名参加)、3/20 谷川岳、一ノ倉沢一ノ沢~東尾根(植田、海老原政夫、吉田、川内、渥美、小山) 4/6足尾、松木ウメコバ沢右岩壁、中央岩峰凹角ルート(川内、渥美、小山)、5/27~31 北ア、北穂高岳滝谷、第二尾根P2フランケ芝工大~グレポン芳野ルート(川内)。ダイヤモンドフェース清水山岳会~ドーム中央稜ルート(川内)がある。6歳年上だが上高地から北穂高岳までガチャ背負って10時間で歩くし、下山は上高地まで5時間半。滝谷のルンゼの雪壁をダブルアックスで取付きまでザイル無しで下るし体力、技術もあった。この年は川内とも谷川岳一ノ倉沢、上高地の帝国ホテルに泊まり(敦子さんは四谷の大きな豆腐屋さんの奥さん)屏風岩東稜も登っている。そして7/22~8/14でマッターホルンンも登っている。そして1983.6/2谷川岳芝倉沢を他2名とスキー滑走中、出合までもう少しのシェルンド転落し生涯を閉じている。

山への想いは尽きることなくアル
プスからヒマラヤへと夢は拡がる
遥かなるバルトロの峯々を夢みつ
つ遠藤敦子ここに眠る
1985年6月2日芝倉沢をスキー滑降中にシェルンドに転落し逝く。享年40才 

慰霊碑にも昭和58年とあります。※1983(昭和58年)の間違いである


遠藤さんの年譜  東京朝霧山岳会 創立五十周年記念誌 転換時代(梶山幸佑)

・昭和33年(1958年)1月:前穂高岳集中(13名)、北尾根隊に梶山、遠藤俊雄さん参加
・昭和37年(1962年)4月 :11期生(12名)として入会(19歳)
・昭和38年(1963年)3月:八ヶ岳阿弥陀岳北稜
・昭和38年(1963年)3月:上越仙ノ倉岳北尾根
・昭和38年(1963年)4月:谷川岳東尾根
・昭和38年(1963年)7月:剣岳Cフェース剣稜会ルート、Aフェース中大ルート
・昭和40年(1965年)2月: 28日から3月24日北ア、白馬岳から西穂高岳縦走3月1日から七倉尾根サポート隊(3名)ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ遠藤夫人として参加

・昭和40年(1965年) :剣岳本峰南壁、北岳バットレス四尾根、谷川岳一ノ倉沢中央稜、谷川岳烏帽ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ                                          子奥壁中央カンテ

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( 里山歩きからヒマラヤ登山・・・それが我々のフィールドです ) ㅤㅤㅤ 東京朝霧山岳会