東京朝霧山岳会活動日記Ⅱ

会山行活動の簡単な報告です!

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ上記画像:インド ガンゴトリ山群 バスキパルバット(6792m) ㅤㅤㅤㅤㅤ ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ ※各画像をクリックすると拡大されます

三浦半島  源氏山~衣張山~鷹峰山 (鎌倉殿探索)

鎌倉に30~40年も住み乍がらも、鎌倉の歴史にはとんと疎い小生。1/12から始まる大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」は、打って付けの知識となりそうです。第一代将軍頼朝の死後、第二代将軍頼家に対して、9人の東国武士と4人の文筆吏僚の十三人で、合議制により裁量を図った物語だそうで、今鎌倉は活気付いています。そこで、源頼朝と言えば源氏山と。先ずは北鎌・浄智寺から葛原ケ岡を経て、源頼義・義家父子が奥州遠征に白旗を立て戦勝祈願したと言う源氏山に登りました。その後、源氏山の市街を挟んで対峙する、政子が頼朝に白い山が見たいとせがんだと言う衣張山へ。西高東低の強風快晴で衣張山頂からは富士山や丹沢・大山もクッキリと見えました。そこからは所縁の地巡りで、鎌倉八幡宮東側の鎌倉幕府跡(大倉)へ。今は横浜国大付属校となっていました。その後、第一代将軍の源頼朝の墓のある法華堂。法華堂は今は無く、跡地と五輪塔墓所白旗神社がありました。続いて、直ぐ東隣の第二代執権北条義時の新法華堂。新法華堂も今は無く、跡地からは石段で、毛利季光大江広元島津忠久と頼朝の身内筋のヤグラ(洞窟墓)に繋がっていました。次に、頼朝が平泉平定の源義経藤原泰衡等の戦死者供養の為に建立したという永福寺跡に向かいました。そして、最後に覚園寺へ。吾妻鏡によりますと、義時が建立した十二神将の薬師堂の御告げで、御釼役だった義時が体調不良となり、第三代将軍実朝が公暁に暗殺される際に助かったと謂われています。その覚園寺門表には、「鷹峰山 覚園寺」と書かれていました。鷹峰山・・・聞いたことある名と思い乍がら検索してみると、当宅の前山と判明しました。「何ヌッ!」、宅前の目障りなコブ山は「鷹峰山」ってか!今泉台のコルから鎌倉アルプスのサザエ岩の当たり・・・と、藪漕しながら登ると、一級基準点の測量標識が。その後、GPSを頼りに127.9mの鷹峰山を探し出す。「知らんかった。」自宅前の目障りコブ山は、鎌倉アルプス第4の高峰でした。・・・その後は、ものの5分で下山して、自宅着。とんだ「灯台下暗し」。鷹峰山は呼び名が難しいので、今後は隠語で「K4」と呼ぶことにしようと思った。(朝霧植田)十三重臣;東国武士=北条時政北条義時比企能員安達盛長和田義盛梶原景時、三浦義澄、足立遠元八田知家文筆吏僚=大江広元三善康信中原親能二階堂行政添付写真(順不同);

① 年末開花の鎌倉宮河津桜永福寺跡と3点山具 ③ サザエ岩裏山の測量   ④ 鷲峰山南西壁

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( 里山歩きからヒマラヤ登山・・・それが我々のフィールドです ) ㅤㅤㅤ 東京朝霧山岳会