東京朝霧山岳会活動日記Ⅱ

会山行活動の簡単な報告です!

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ上記画像:インド ガンゴトリ山群 バスキパルバット(6792m) ㅤㅤㅤㅤㅤ ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ ※各画像をクリックすると拡大されます

三浦半島 鎌倉東山・祇園山

「鎌倉殿の十三人」のドラマの影響か、鎌倉寺社は俄か歴訪者が増えてます。 小生もミーハーに徹し、比企一族の菩提寺妙本寺から裏山の祇園山に老爺さんぽ(山歩)に行ってきました。 源頼朝は、乳母の比企尼武蔵国から招き住まわせたのが、現在妙本寺のある比企ヶ谷との事で、比企能員が第2代将軍源頼家の乳母父となった為に、第1代執権の北条時政から敵視され、比企の乱で滅亡させられたとのことです。 早々に比企一族の墓所参りをして、裏山の祇園山稜線へと登る。鎌倉東山にあたるこの稜線は、市街地裏というのに自然林雰囲気を醸し出しています。稜線の南端からは稲村ヶ崎~源氏山、遠くに箱根連山、そして奥に富士山と、西高東低の寒冬だけに良い眺めでした。稜線の著莪(シャガ)道をハイク道から外れて稜線の踏跡道を辿ると、稜線西側からの踏跡を発見する。分岐点に目印を付けた後、北端からの東勝寺北条高時腹切ヤグラへと下る。ここは鎌倉幕府軍の800名が最終自害した亡霊都市伝説の地。 風光明媚な都市鎌倉は、実は血生臭い殺戮の場だったことを思い知らされる。一旦下山した後、先程の稜線への踏跡道の取付を探す。古い墓地があり、その裏手に支尾根を見付け、支尾根の踏跡を辿って先程の目印分岐に到達する。兎に角、祇園山の全ルートを歩くべく、寒さに鼻水を垂らし乍がら稜線を南端迄戻り、八雲神社へと下る。 ・・・今回は木の根躓きと、杖なしのチャレンジが収穫だった。(やったネ) (  朝霧  植田  )
  添付写真;東勝寺の紅梅 / ② 比企一族墓所 ③ 祇園山稜からの源氏山と箱根連山と富士山 /  ④ 高時腹切りヤグラ口・入山禁止札

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( 里山歩きからヒマラヤ登山・・・それが我々のフィールドです ) ㅤㅤㅤ 東京朝霧山岳会