スキー場から真っ直ぐ登り、樹林帯に入り一時間で見晴らしの無い頂上に着く。他の登山者とお喋りして、フルーツを貰い一時を過ごしてから下山した。( 山口 )
恐羅漢山スキー場登山口(12:08)~恐羅漢山(13:07-13:29)~恐羅漢山登山口(14:08)
梅雨入り前最後のウィークエンド。丹澤源次郎沢に行こうと準備していたところ、山友が南八ヶ岳赤岳周回をするという。以前、同じルートを周回していますが、雲の中を歩いただけでしたので、急遽連れていってもらうことにしました。山友は歩くのがとても早く休み時間も少ないので、ところどころお願いして何とか着いていくことができました。今回は、快晴で雲の上に頭を出した富士山、南アルプス、中央アルプス、北アルプスなどなど、南八ヶ岳を堪能することができました。山友は夏沢峠に行きたいと言っていましたが、計画書外でしたので、勘弁してもらい予定通りの縦走で終了しました。途中歩いていても足に力が入らない時(後で先輩に教えていただいたのが水分不足では、とのことでした。)がありましたが、ここのところ長距離を歩いていましたので、下山後も比較的ゆとりの山行でした。下山後もみの湯で疲れた身体をほぐして帰路に着きました。以前はおおよそ12時間、今回はおおよそ9時間半内休憩時間1時間40分。 ( 南八ヶ岳 美濃戸~赤岳~横岳~硫黄岳~美濃戸 周回 )(黒澤、他1名)
朝3時の標高500mの蒜山高原は12℃と暖かあたたかい。4時前に出発する。前日に登山口方面まで偵察しておいたので迷うことはないが牧場周りは電線が張り巡らせてあるので気持ち悪い。樹林帯に入ると急登になるが1ピッチで500m稼いだ。この一週間登りこんでいるで身体が軽い。下の高原は雲海になっていて幻想的だ。間もなく最終のピーク上蒜山に着くが三角点は左方向にあるので往復した。ここから縦走になるが上蒜山からの鎖場は傾斜が緩いので前向きで降りられる。中蒜山迄はあっという間に着いた。少し雲が出てきたので大山は見えなくなった。下蒜山迄は少し長いが気持の良い登山道が続く。頂上から下ってまもなく「アサギマダラ」数羽現れ数年ぶりでシャターを押した。下蒜山登山口に着いてタクシーで上蒜山登山口に戻り温泉で汗を流し登山を終えた。(山口)
上蒜山登山口駐車場(03:58)~上蒜山1·202m(06:08-三角点往復-06:26)~中蒜山1·122m(07:23-07:26)~下蒜山1·100m(09:15-09:25)~下蒜山登山口(10:30-10:40)~上蒜山登山口駐車場(10:55-11:05)
昨日の明るいうちに、下の国道から苦労してたどり着いた。キャンプ場とは名ばかりで「熊出没注意」の看板ばかり。道もガードレール無しでこれではキャンプにならない。夜明けと同時に出発。沢沿いの杉林の中を登る。途中2か所に昭和の名残りの炭焼き釜があった。海抜1050mでの炭焼きの工程、運搬の大変さは皆さん分からないでしょう。全体的に暗いコースだ。少ない荷物なので2時間10分で頂上に着く。昨日登った氷ノ山が望める。他の山は分からない。下りは一時間ちょっと出降りた。(山口)
後山キャンプ場(04:30)~船木山(06:19)~後山(06:40-06:54)~後山キャンプ場(08:15-08:30)
夜明けと同時にスタート。予定では仙谷ルートであったが、GWにバカ高校生が残雪で滑落事故起こしたので通行禁止になったそうだ。どうせなら長いルートに変更する。スキー場を登り三ノ丸方向に行ったのだが、思い込み間違いで20分タイムロスする。樹林帯を斜めに登り、スキー場沿いの踏み跡の傾斜のキツイこと。間もなくルートの傾斜も落ち三ノ丸手前からはほんの少しの傾斜の登山道である。残念ながらアタマ超えの竹藪で視界ゼロ。頂上でようやく視界良好だが山の名前が全くわからない。早々と下山に入る。下山ルートは氷ノ山越ルート。ブナの原生林から杉林を下るとキャンプ場に着き20分で駐車場に戻った。登山者は全てこのルートを登っていた。全体的に標識は多すぎる位あり、人気の程が伺えた。( 山口 )
氷ノ山スキー場登山口(04:32)~三ノ丸ルート合流点~三ノ丸避難小屋(07:03)~氷ノ山(07:54-08:08)~登山口(10:05-10:25)~後山登山口(14:50)
都岳連総会が5月31日、国立青少年オリンピックセンターで実に3年ぶりに行われた。(リモ-トは別)出席者は大方スタッフさんがしめ、各山岳会代表者もこんなに少ない人数は初めてだろう。状況が状況だからいたしかたない。 会長も亀山さんから松本 敏氏にかわり任期も後1年とのこと、3年間の行事ほぼ中止でそれはそれなりに大変な苦労だったようだ。(事前準備があるので)、また加盟団体も個人会員も少しづつ減少傾向にあり歯止が効かないのが実情だ、 なお公益法人収支として各コロナ給付金(380万)で数字的にはなんとかなったようだ。
※ 国立青少年オリンピックセンターで岳連総会や各研究会など出席してきた。その間に「山岳」は大きく変化、 スポ-ツクライミング、トレイルランニング部門が失礼と思うがあの頭が堅いと思った岳連に加わった。昔ながらの我々が思っている「山岳」では理解できないことが現状おきている。このまま現状に甘んじていると間違いなく衰退のみである。新しい志向を今一度模索しなくてはいけない。( 元 庶務2課 )