東京朝霧山岳会活動日記Ⅱ

会山行活動の簡単な報告です!

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ上記画像:インド ガンゴトリ山群 バスキパルバット(6792m) ㅤㅤㅤㅤㅤ ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ ※各画像をクリックすると拡大されます

三浦半島 鎌倉探索報告 洲崎古戦場・泣塔塚

今年も遂に後2ヶ月、霜月となりました。鎌倉三城址の探索も一応完遂しましたが、『最初に行った天神山で、州崎の戦いで北条守時が陣を置いた所』と謂う話に、「洲崎って何処」という疑問が湧きました。下町生まれの小生には、「洲崎」と言えば東京深川の洲崎しか思い浮かばず、鎌倉古戦場で検索した所、天神山西側の丘原地帯と判明しました。早速先程、痕跡探しに現場に行ってみました。現場は、湘南モノレールの沿道で、道路の横奥にひっそりと石碑を見い出しました。この「洲崎の戦い」とは、新田義貞の鎌倉攻めの時、 元弘3年に鎌倉の入口の洲崎で、新田勢と北条勢が、一昼夜に渡り六十五回の戦さをし、鎌倉幕府軍の六万騎が新田グレードの猛攻で三百騎になってしまったと、太平記に記されています。また、旗立山南東の緑の小があり塚、古びた宝篋印塔も建っていることが分かりました。この宝篋印塔は、この戦い死者の23回忌の供養として建てられたものとのことです。・・・灯台下暗しで、地元でも知らないことばかりです。自分が、これら戦国の世を生き延びた子孫の一人で、この世に産まれてきた不思議さに、気付かされました。

*宝篋印塔=原型は中国の呉越王銭弘俶が延命を願って諸国に配ったもので、インドのアショカ王が釈迦の舎利(遺骨)を小塔に分置したという故事に起源を持つと謂います。( 朝霧 植田 )

① 洲崎泣塔塚全景 、② 洲崎泣塔(宝篋印塔) 、③ 洲崎泣塔説明板、④ 洲崎古戦場石碑

f:id:asagiri33:20211101192107p:plain

 

( 里山歩きからヒマラヤ登山・・・それが我々のフィールドです ) ㅤㅤㅤ 東京朝霧山岳会