東京朝霧山岳会活動日記Ⅱ

会山行活動の簡単な報告です!

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ上記画像:インド ガンゴトリ山群 バスキパルバット(6792m) ㅤㅤㅤㅤㅤ ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ ※各画像をクリックすると拡大されます

三浦半島・長柄背稜踏査 報告

逗子と葉山間のトンネル上の丘陵帯は、以前から「神奈川全ルート潰し」の際に気になっていた。そこには古墳が幾つかあるとの話だが、こんな東国の半島付根に古墳文化が発達してた筈はないと高を括くっていた。また鎌倉特有の都市伝説と思いつつも、梅雨間に騙されたつもりで行って見ることにした。桜山トンネル南出口側の取付には、「長柄桜山古墳群入口」との尤もらしい手製標識が立っていて、また葉山町重要文化財「庚申塚」との標柱もあった。芳ヶ久保西側の鬱蒼とした支尾根から取付く。色褪せた虎ロープの急坂は、一昨日の畦ヶ丸でヨレた足腰関節には、ヘナヘナと切なく辛い。クモの巣まみれの泥濘急坂を暫く登ると、開けたハイク道の泥濘稜線に出た。東に行くと1号古墳で、西に行くと2号古墳との道標があった。先ずは1号古墳へと向かう。1号古墳は稜線の東端に当たり、真下には住宅地が見え、公園化でもするのか土留修復中であった。由来看板によると、1999年に副葬土器が発見され、4世紀後半の長さ90mの前方後円墳とある。ヘェッ。そんな考古学的遺跡なら本格的な発掘調査もせずに、土留工事をするのも妙だと思う・・・やはり眉唾ものか?西へ、桜山トンネル上を通過した西側の2号墳は、稜線の西端と言った感じで、こちらには手が加わっていなく尤もらしかった。そこからは、長柄の由来っぽい長支稜線で、藪踏跡伝いに行くと、途中に区界杭があった。支稜線南端の藪中には浅間大神の石碑があり、驚かされた。逗子のこの辺りは、明治時代に国木田独歩徳富蘆花が名を馳せた所で、ゆかりの逗留柳屋跡には石碑も建っていた。この一帯、旧別荘地で古墳もあってか、横浜アルプス同様の自然保林帯で、藪踏跡道も多く「ピュアー登山」が楽しめる。・・・明晩は皆既月食。天地万象の真理を知ろう。自在人生、徒然草の第38段を思う。( 朝霧 植田 )
写真: 逗子海岸からの北面長柄背稜 / 街中とは思えない稜線の藪踏跡道 / 明治文人逗留の柳屋跡石碑

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