東京朝霧山岳会活動日記Ⅱ

会山行活動の簡単な報告です!

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ上記画像:インド ガンゴトリ山群 バスキパルバット(6792m) ㅤㅤㅤㅤㅤ ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ ※各画像をクリックすると拡大されます

谷川岳 芝倉沢出合 慰霊山行記

9/26:予定では土合~谷川岳~蓬峠~芝倉沢~土合の慰霊山行予定であったが、夜中からの雨は起床時間の2時半でも4時でも止まず風雨の中、稜線に登る気力はなく芝倉沢往復にした。5年ぶりの慰霊山行は冷たい雨の中となったが、ここに来ると遠藤さんとの山行が思い出されて懐かしさがつのる。川内と三人よく組んで登ったが楽しかった。元朝霧会員の遠藤敦子さんが復帰したのは、「3人子育てが終わったので山に行きたい」との希望でOBの梶山さんと遠藤さんのご主人から「少し行ってくれないか?」と言われたのがきっかけであった。私と遠藤さんとの記録を見ると1979年12/30~1980年1/5 北ア、南岳西尾根合宿(15名参加)。2/3御坂、四十八滝沢氷壁講習会(13名参加)、3/20 谷川岳 一ノ倉沢一ノ沢~東尾根(植田、海老原政夫、吉田、川内、渥美、小山)4/6足尾、松木沢中央岩峰凹角ルート(川内、渥美、小山)、5/27~31 北ア、北穂高岳滝谷、第二尾根P2フランケ芝工大~グレポン芳野ルート(川内)。ダイヤモンドフェース清水山岳会~ドーム中央稜ルート(川内)がある。6歳年上だが上高地から北穂高岳まで10時間で歩くし、滝谷の雪壁をダブルアックスで取付までザイル無しで下るし体力、技術もあった。この年は川内とも谷川岳一ノ倉沢、上高地の帝国ホテルに泊まり(敦子さんは四谷の大きな豆腐屋さんの奥さん)屏風岩東稜も登っている。また、遠藤さんから「二人分(私と川内)の旅費全て出すからマッターホルンに行かない?」とも誘われたが仕事でどうしても空けられなので断念した事もあった。その後同志会と行ったかどうか記憶が定かではない。芝倉沢は同志会のメンバーと行ったのは後から聞いた。梶山さんから聞いた話では「同志会と行かせるんじゃなかった」と遠藤さんが残念がっていたそうだ。俺と川内も独身だったので手料理を良くご馳走になった。チーズフォンデュは絶品だった。( 山口 )

(1983年6月2日芝倉沢をスキー滑降中にシェルンドに転落し逝く享年40才)
帰路 一ノ倉尾根末端にある谷川岳幕岩Aフェースに散った原田輝一、山中貞一、徳蔵直彦先輩のレリーフにも線香をあげてきた。1959.8(S34)

9/25 京成成田駅(15:30)⇒車両⇒土合橋駐車場(19:00)
9/26 土合橋駐車場(04:30)⇒芝倉沢出合(06:30-06:55)⇒土合橋駐車場(09:00)⇒朝霧山荘(13:15)⇒千葉県印西市、自宅(15:00)

 

( 里山歩きからヒマラヤ登山・・・それが我々のフィールドです ) ㅤㅤㅤ 東京朝霧山岳会