東京朝霧山岳会活動日記Ⅱ

会山行活動の簡単な報告です!

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ上記画像:インド ガンゴトリ山群 バスキパルバット(6792m) ㅤㅤㅤㅤㅤ ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ ※各画像をクリックすると拡大されます

後立山連峰 五竜岳~唐松岳

コロナ禍が下火になりつつある今年の会の春合宿はゴールデンウィーク(GW)連休後半(5/3~5)に後立山連峰五竜岳から唐松岳への縦走登山をおこなった。メンバーは、木戸、黒澤、塚田の(オールド)リーダー3名である。この期間の日本列島は広く高気圧に覆われ(五月晴れ)この登山を十分に楽しいものにしてくれた。GWとあって多くの登山者が五竜岳唐松岳に訪れていた。

 (3日)前日3人は、竹橋から登山バス「毎日あるぺん号」で22時30分に(白馬村五竜テレキャビン前に向けて出発した。テレキャビン前には定刻どおり朝5時前に到着。テレキャビンの始発時刻は8時15分。「とおみ駅」乗車口前で朝の清々しいひと時を過ごす。ゴンドラと展望リフトに乗り終点(標高1,515m)に8時50分に到着。ここで登山の準備にとりかかる。稜線には残雪が所々にある。地蔵の頭、見返り坂、小遠見山、中遠見山、中遠見山を経て幕営地の西遠見ノ池(2,200m)には14時ちょうどに到着した。広く平らな雪原には数張のテントがあった。早速我々も雪原の中にテント2つ張る。黒澤氏のアライテントのエアライズ2(最大3人)に塚田が入る。ここからは、五竜東面の岩場がよく見えるが、残念ながら五竜岳の有名な雪形「武田菱」は既に雪が消えて判別
がつかない。五竜岳には稜線に突き上げている尾根G0からG7が東面の岩場とされている。当会では1988年5月に山口、宮浦、伊藤(守)らが不帰Ⅰ峰主稜から五竜G5への継続登攀の記録が残されている。

(4日)朝5時45分に出発。西遠見ノ池から西遠見山(2,268m)に登り、白岳(しらたけ)(2,541m)直下の広い雪の急峻な斜面を慎重にトラバースして主稜線上の五竜山荘(2,490m)に到着する。山荘で山頂のピストンに必要な装備を持って登りにかかる。登山道は夏道となるが所々急峻な雪壁を登る。この時期の雪壁は多くの登山者でしっかりしたステップが作られいて安心できるが融解も早く進み足場が崩壊する恐れがある。五竜岳山頂(2,814m)に9時45分に到着。山頂にいた登山者に我々の3人の集合写真を撮ってもらう。雲一つない快晴で360度の大パノラマが一望できる。南方には主稜線から双耳峰の鹿島槍ヶ岳が続き、その奥には裏銀座コースが槍穂高連峰に続いている。西方には剣立山連峰、北方には主稜線から唐松岳、鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳が続いている。五竜山荘でデポ品を回収し唐松岳に向けて出発する。下りが続き最低鞍部(2,320m)からは登りとなり大黒岳(2,393m)を経て難所とされている牛首の鎖場を登ると眼下には唐松岳頂上山荘(2,620m)が見えてくる。17時ちょうどに唐松岳頂上山荘のテント場に到着した。計画より2時間の遅れである。唐松岳頂上山荘のテント場はまだ雪の下でありわずかに平になっている場所を見つけてテントを張り、遅くなった夕食で寛ぐ。このわずかなテント場には十数張りのテントが張られている。二張り3名のテント場使用料金1万円に昔のテント場の使用料金を知る者は、その値上がりに盛り上がる。

 (5日)朝5時35分にテント場から空身で唐松岳をピストンした。5時52分に唐松岳山頂(2,696m)に到着。写真撮影するなどして6時20分下山を開始。テント場に戻ってテントを撤収し八方尾根の下山に就く。所々雪渓の残る緩やかな下りが続き、途中3か所で白と黒のまだら模様の雷鳥を発見する。丸山ケルン、第三ケルン、八方池を通過して10時25分に八方池山荘(1,830m)に到着し、今回の登山を無事に終了した。今回は3日間の好天に恵まれて計画どおり登山が終了し、リーダー間相互のコミュケーション能力のステップアップとなった山行であった。(木戸、黒澤、塚田(記))

(3日)(8: 50)地蔵ノ頭~(10:57)小遠見山~(11:44)中遠見山~(14:00)西遠見ノ池 
(4日)西遠見ノ池(5:45)~(7:40)五竜山荘~(9:45)五竜岳~(11:45)五竜山荘(12:10)~(13:15)最低鞍部~(14:15)大黒岳 ~(17:00)唐松岳頂上山荘テント場
(5日)唐松岳頂上山荘テント場(5:35)~(5:52)唐松岳~(6:20)~(7:10)唐松岳頂上山荘テント場~(8:10)丸山~(9:35)八方ケルン~(10:25)八方池山荘

( 里山歩きからヒマラヤ登山・・・それが我々のフィールドです ) ㅤㅤㅤ 東京朝霧山岳会