東京朝霧山岳会活動日記Ⅱ

会山行活動の簡単な報告です!

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ上記画像:インド ガンゴトリ山群 バスキパルバット(6792m) ㅤㅤㅤㅤㅤ ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ ※各画像をクリックすると拡大されます

裏那須 流石山(1,813m)~大倉山(1,885m)~三倉山(1,888m)

今月は樹林帯の山行が多かったので、森林限界上の稜線散歩がしたく、ミニ飯豊連峰と称される裏那須に出かけた。国道から林道に入るところが分からずナビを使った。駐車予定の徒歩65分手前で通行止めであった。出発する時は霧雨だった。歩いて30分の所で道路崩落の工事中で車道が幅5m×長さ10m×深さ3m位掘削されていて登る場所は左入隅だけで登るのに苦労した。舗装道路から砂利道になり緩やかな登山道を登ると辻の大峠に着く。この辺りは新緑と新芽の境である。相変わらず霧雨と濃いガスである。急登を1時間で流石山に着く。左の斜面は那須、苦土川井戸沢の源流である。大倉山から三倉山へは膝までのクマザサの道を歩く。ヤマザクラはまだ頑張っているし、シャクナゲはあちこちで咲こうとしてた。斜面にはまだ残雪が見える。晴れてれば大展望の稜線散歩なのになあ!三倉山からの帰りでは少しガスの切れ目から三斗小屋温泉の湯煙と那須岳も見えた。人気コースなので7.8パーティとすれ違った。復路は1回だけの休みで駐車場に戻った。( 山口 )

5/29 自宅(13:47)車両⇒牛久阿見IC⇒圏央道常磐道北関東自動車道東北道⇒白河IC⇒日暮
の滝駐車場(18:30-20:00)泊り

5/30 日暮の滝駐車場(03:20)~大峠(05:24-05:30)~流石山(06:37-06:46)~大倉山(07:43-07:51)~三倉山(08:23-08:39)~流石山(09:58-10:10)~日暮の滝駐車場(12:15-12:39)車両⇒白河IC東北道北関東自動車道常磐道圏央道⇒牛久阿見IC⇒自宅(17:27)

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丹澤 檜洞丸 

5.29   新松田駅に着くとバス待ちの人がたくさんいる。数回来ているもののこんな多くの人がいるのは初めて。いつもはJRで谷峨まで行くのだが、そのままバスに乗った。増発便も出たので、増発便に乗った。西丹澤ビジターセンターの駐車場もすでにいっぱいだった。ツツジ新道を進むと、女性の軍団がのんびりと歩いている。ここで無理をするといつも後が続かないので、着いて行った。途中で訊くと軍団は蛭が岳泊まりのようだ。縦走が羨ましい。出会いに着くと休憩している人も多かったので、休まずに皆さんを抜かせていただいた。檜洞丸に3時間ちょっとで着いた。ゆっくりだったが、まあまあ予定通り。いつもここでへばっていたが、体力も温存できた。ここから先の犬越え路までが不安だ。急坂を下るイメージだったがどうだろう。以前連れてきていただいた時の事。アイゼン無しで凍った急坂を下った、あの時は、落ちたら骨折するなと、かなり緊張して下った記憶がよみがえってきた。今回は凍っていないので、鎖場は何か所かあったもののそれほど緊張することもなく進むと、大こうげ小こうげを通過して15時半頃、犬越え路避難小屋に到着した。計画よりも30分ほど遅れ。加入道山小屋まで行く計画だったが、断念。このまま、下山しても良いし、犬越え路避難小屋に宿泊しても良いか?明日はどうするか?せめて大室山ピストンするか、そのまま下山するか?いろいろと迷ったものの、西丹澤は鬼門。いつもあまり良い事がないので、ゆっくり休んで下山を選択した。

PS: 途中、花の写真を熱心に撮っている方がいた。その方の話では、白く小さな花だったが、深山唐松草らしい。つぼみ状、少し花が開いたもの、大きく開いたものなどいろいろだ。先週はシロヤシオがピークだったようだ。ほかにも多くの花が咲いていた。

5.30   夜1時頃、目覚めると月が明るい。外に出てみると、星が少しだけ見える。月が明るすぎて、星が少ない。月が雲に隠れそうなので、待ってみたら、雲で星も隠れてしまった。流れ星でも見えないかとしばらく宙をながめていたが、見ることはできなかった。4時に起床し、朝食を済ませ5時半に東海自然歩道を下山開始。途中の沢沿いは気持ち良くさわやかだった。林道に出ると、川沿いはほぼキャンプ場となっていて、多くのファミリーキャンパーで賑わっていた。7時半にビジターセンターに着き、バスを待って早々に帰宅した。
PS
西丹澤は鬼門だ。雨でびしょぬれになり檜洞丸にもつけずに敗退したり、大倉を目指すもやっぱり雨で歩けなくなり蛭が岳に泊まったりと良い事がない。今回はこちらは無事だったものの、※会員が思わぬお怪我をされてしまったようだ。早々の回復をお祈り申し上げます。(黒澤、他2名)

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朝霧通信「リモートAsagiri 6月版」

早いもので「リモートAsagiri 」を発刊して1年になります。当初は横浜クルーズ船のコロナ発生に基づく3月からの集会中止の代替策でしたが、そのコロナは未だに終息せず「リモ朝」も継続してきました。また内容も当初はコロナに対する我々山屋の有り方の話でしたが、世界的蔓延により各国のコロナ対策が、山リーダーの判断に参考となるので、実テーマとして取上げて見ました。この難題の対応には、各国リーダーの手腕の差が如実に現れ、同一条件下での結果比較は、山リーダーとしての参考になりました。登山は基本、自身の建てた目標を自身の身体を使って成し遂げる行為です。ましてやパーティの命運を決めるリーダーには、技術的能力ばかりでなく知的能力が不可欠で、社会人山岳会の特長はここにあると感じました。さて、5月連休をターゲットの第3回非常事態宣言下で、大阪は1,200人超の、また東京も1,000人超の感染者を出し、4月からの高齢者ワクチン接種の遅れに、5/7菅首相は1日100万人のワクチン接種目標を宣言しました。5/中旬からの各地接種も予約不手際が続出し、5/24からは防衛省による大規模接種が東京/大阪で開始されることになりました。所で山ですが、非常事態宣言に対して都岳連からは、これまでの対応を基本に、登山教室等の事業は行わないとの声明が出ました。また、5月連休には天候不順による荒天で、槍ケ岳や谷川岳で死亡事故がありました。自然には定形はありません、5月でも降雪や地吹雪はあり得ます。商業的情報頼りに山へ入るのは危険で、GPSとナビゲートアプリマップ頼りの登山には、状況変化への対応に脆さもあります。基本、便利用具はあくまでも補助、自立した自力登山力が必要です。一方、薩摩川内市西沖の下甑島ナポレオン岩にクライミング中の2名が、強風で進退窮まり救出を求め21Hr後に救出されました。・・・「リモートAsagiri 」の継続は未定ですが、近頃山では1年に及ぶコロナ自粛下に、高齢ソロや少数ハイカーを良く見掛けます。この試練をバネに、朝霧も強たたかさを身に付けたいと思います。(朝霧 植田 ) 

日光 男体山(2486m) 志津峠~

写真は山頂付近から日光白根の写真.裏男体山林道が 4月に開通しました。志津小屋を09:15に出て見晴らしの無いぬかるみの登山道とそれを除けると、藪漕ぎと倒木の多い急な登りをひたすら歩き途中休みを入れ約140分で男体山上着。頂上では薄曇りの中周りの景色が素晴らしい.上った道を下り約100分で志津小屋着。志津峠付近は駐車禁止になっている。登りでは登山者一人しか会わないが頂上には表から来た登山者が大勢いる。( 井上☓2 )

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三浦半島・長柄背稜踏査 報告

逗子と葉山間のトンネル上の丘陵帯は、以前から「神奈川全ルート潰し」の際に気になっていた。そこには古墳が幾つかあるとの話だが、こんな東国の半島付根に古墳文化が発達してた筈はないと高を括くっていた。また鎌倉特有の都市伝説と思いつつも、梅雨間に騙されたつもりで行って見ることにした。桜山トンネル南出口側の取付には、「長柄桜山古墳群入口」との尤もらしい手製標識が立っていて、また葉山町重要文化財「庚申塚」との標柱もあった。芳ヶ久保西側の鬱蒼とした支尾根から取付く。色褪せた虎ロープの急坂は、一昨日の畦ヶ丸でヨレた足腰関節には、ヘナヘナと切なく辛い。クモの巣まみれの泥濘急坂を暫く登ると、開けたハイク道の泥濘稜線に出た。東に行くと1号古墳で、西に行くと2号古墳との道標があった。先ずは1号古墳へと向かう。1号古墳は稜線の東端に当たり、真下には住宅地が見え、公園化でもするのか土留修復中であった。由来看板によると、1999年に副葬土器が発見され、4世紀後半の長さ90mの前方後円墳とある。ヘェッ。そんな考古学的遺跡なら本格的な発掘調査もせずに、土留工事をするのも妙だと思う・・・やはり眉唾ものか?西へ、桜山トンネル上を通過した西側の2号墳は、稜線の西端と言った感じで、こちらには手が加わっていなく尤もらしかった。そこからは、長柄の由来っぽい長支稜線で、藪踏跡伝いに行くと、途中に区界杭があった。支稜線南端の藪中には浅間大神の石碑があり、驚かされた。逗子のこの辺りは、明治時代に国木田独歩徳富蘆花が名を馳せた所で、ゆかりの逗留柳屋跡には石碑も建っていた。この一帯、旧別荘地で古墳もあってか、横浜アルプス同様の自然保林帯で、藪踏跡道も多く「ピュアー登山」が楽しめる。・・・明晩は皆既月食。天地万象の真理を知ろう。自在人生、徒然草の第38段を思う。( 朝霧 植田 )
写真: 逗子海岸からの北面長柄背稜 / 街中とは思えない稜線の藪踏跡道 / 明治文人逗留の柳屋跡石碑

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西丹沢 屏風岩山~畦ヶ丸~下棚権現山 報告

西丹沢最奥の犬越路から丹沢湖流れ出る河内川の左岸の盟主が檜洞丸ならば、右岸の盟主は畦ヶ丸だろう。5月連休明け、西丹沢の石棚山経由で檜洞丸-犬越峠に行ったので、今回は対岸の屏風岩山経由で畦ヶ丸-下棚沢権現山へ行ってきた。丹沢は山が多く、不遇な山が沢山ある。今回の屏風岩山も、畦ヶ丸南尾根として丹沢湖まで達しているのに、何故か登山道はない。昨年世附側権現山に登った上ノ原細川橋から稜線の二本杉峠に登る。「踏跡不明瞭」の立看を確認して取付く。急峻なリッジ状はルートが判りやすいが、支尾根集合のプラトーになると間伐踏跡もあり、ルートが判らない。小雨ガスの屏風岩山に辿り着く。標識も無い平らな樹林帯だが、良く見ると細い識別杭横に細マジックで弱々しく屏風岩山とあった。ガスの中、頂上北端から踏跡辿りに急な下りとなり、更に急峻な登り返しとなる。大滝峠へは大下りの筈・・・。地形が変しいので地図で調べてみると、どうやら北東支尾根に入り込んだらしい。大滝上分岐からは、既知の登山道。畦ヶ丸避難小屋は時間節約で休憩補食はカット。朝霧参上の記帳と恒例の2L水とシリアルをデポ残置を済ませ、次の下棚沢権現山の現地確認に入る。当初の畦ヶ丸東南尾根からの下棚沢権現山は、下り踏跡吊尾根道で丹沢屈指の本棚沢や下棚沢もあり、迷い込み大なので諦め、東北登山道を下棚沢出合まで下って、下棚沢右岸支尾根踏跡道から登り直すことにする。山腹に付けられた踏跡の外傾ザレ間伐道から支尾根に取付き、吊尾根へと登り上がる。吊尾根の急峻なリッジを越えた先が頂上だった。頂上は平坦な樹林帯で、標識は無かった。下山時の西沢下流域は、昨年秋の台風被害のズタズタ面影は全く無く、木製梯子も丸木橋も整備されていた。それでも檜洞丸-畦ヶ丸の単独者が、沢道に困窮していた。サークルに入っているがソロはしないので、沢沿下山がコース図に記載なく最も難所だという。そっか・・・。汗だく姿に、麦茶を1本差し上げる。当方が先行して下り、小生流の「遠見の近意識」式ルートファインディングを、僭越ながらご伝授する。帰路車路歩きは、2時間弱のヨレバタで日暮れになった。・・・でも何か遣り尽くし感を覚えた。(朝霧植田) 

写真(順不同):① 西丹沢丹沢湖以北の登山道 ② 畦ヶ丸東北尾根からの来し方・屏風岩山 ③ 下棚沢側権現山への急峻リッジ ④ 下棚沢側権現山からの樹間越しの畦ヶ丸 ⑤ 車路歩き中、姿を見せた夜の畦ヶ丸

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八王子 高尾~日影

天気予報では、「晴」ということであったが、早朝、自宅出る頃雨は降ってないが、良くない感じなので、超近場の高尾山へ 、混雑を避け、高尾山口より少々甲州街道を下り落合「旧石標」より 登る、極力 舗装でない登山道を歩くためだ。 でも少々「霧雨」、視界はガスって悪いが、霊験あらたかな「高尾山」らしい、 早朝なのでハイカ-さんも少ない、 極力脇道を通り、山頂をパスして一丁平へ 登山道は「ぬかるみ」状態なのであっさり日影林道を下る頃には、日もでてきて、 高尾駅まで歩を進めた。※ グレ-ド:イモ1 ( 伊藤 )

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( 里山歩きからヒマラヤ登山・・・それが我々のフィールドです ) ㅤㅤㅤ 東京朝霧山岳会