東京朝霧山岳会活動日記Ⅱ

会山行活動の簡単な報告です!

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ上記画像:インド ガンゴトリ山群 バスキパルバット(6792m) ㅤㅤㅤㅤㅤ ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ ※各画像をクリックすると拡大されます

朝霧通信「リモートAsagiri 11月版」

昨年3月からのコロナによる集会中止に対応して始めた「リモート朝霧」も、7月から数えて1年超えとなりました。 そして、コロナワクチン2回接種者も国民の70%に達し、9/中旬の連休明けからはコロナ感染者が減少、東京では遂に20人割れを記録し、全国の感染者も100人台という激減状態となり、昨年の夏以降最小になりました。「リモート朝霧」でも、この難題・コロナ対策に関しては、各国リーダーの対応と共に、リーダーの有るべき姿として一緒に考えてきましたが、その中でも特徴的だった米トランプ氏と独メルケル氏、そして我国の菅氏が、相次いで退任しました。 そこで今回は、コロナ対策を政治課題の第一と挙げた我国菅政権のリーダー資質について考えて見ました。74%の支持率で実務派逸材の期待のもと発足した菅政権でしたが、就任挨拶の「自助/共助/公助」の政治理念や、次の日本学術会議の任命拒否への「総合的俯瞰的観点」との発言等に、『オヤッ、庶民派?』と思った方も多かったと思います。またその後のコロナ蔓延抑制下での「経済政策優先」GoToトラベルキャンペーン等で、支持率を一挙に43%まで下げました。そして極めつけが、非常事態宣言下での「始めに五輪ありき」のオリンピック開催で、これで支持率を34%と致命的な数字となりました。特に第4回非常事態宣言では、夏休み・五輪・御盆を含む9/末までの延長としましたが、結果的には膨大な数の全国感染者を出してしまいました。これらを通して眺めると、そこに菅氏の自負心、そして全てに官僚的・高圧的なものを感じます。結局、9月の自民総裁選で、菅政権での10月衆院選では民意が得られないとの党判断によるものか、菅政権は1年余りで退陣となってしまいました。一芸に秀でいても、所詮リリーフはリリーフ。完投は無理と言うことでしょうか・・・。後を継いだ岸田首相の「他人の話を聞く」、「信頼/共感を得る」をモットーとするとの就任挨拶は、後継者からの厳しい前任者批判と映りました。菅政権の有り様は、「困難に対処するリーダーに求められる厳しさ」の勉強になりました。さて山ですが、モスクワで行われたスポーツクライミング世界選手権・リードで、男子ヤコブシューベルトと女子ソ・チェヒョンが優勝しました。またボルダリングでは、藤井快が初優勝、楢崎智亜が2位となりました。一方、プロ野球界では松坂大輔が引退となりましたが、斎藤佑樹も引退しました。松坂は、1998年甲子園の横浜高校春夏連覇、ドラフト1位で西武入団、1年目から3年連続最多勝。2007年からレッドソックス入りし、ワールドシリーズで日本投手初の勝利投手となりました。一方、斎藤は2006年夏の甲子園田中将大と激闘の末に優勝、早大でも優勝。ドラフト1位で日ハムに入団し、2012年のメジャー移籍ダルビッシュ後の先発ローテーションに回るが、5勝したあとは一軍登録から抹消されました。かたや「平成の怪物」、こなた「ハンカチ王子」と話題となりましたが、人気に裏打ちされる実力が失くなると、引退しか道はなくなります。プロ稼業の宿命でしょうが、儚さを感じます。・・・先日、フンザ・ウルタルⅡ峰で1991年亡くなった長谷川恒男氏(アルプス三大北壁冬季単独他ヒマラヤ各峰)のメモリアル小学校の話がNHKで取り上げられていました。朝霧も1982年ウルタルⅠ峰に挑みました。怪我人の続出で小生も雪崩に二度遣られ、ズタボロにされました。その後、最後のアタックを敢行。そして、・・・限界と判断し敗退を決意しました。(我々はアマチュア失うものはないと、自分に言い聞かせて) ( 朝霧  植田 )

( 里山歩きからヒマラヤ登山・・・それが我々のフィールドです ) ㅤㅤㅤ 東京朝霧山岳会